アールデコというのは1920年代を中心とした美術様式です。 曲線で作られたアールヌーボーに対して、直線的で幾何学なところが特徴です。 |
若い頃、名画座でモノクロの洋画を夢中になって観ました。 自分の好みが、ひとつの時代に集中しているということに気がついたのは だいぶ後になってからです。 |
アールデコのファッションを語る時には、時代背景がポイントになります。 それまでのヴィクトリア時代からアールデコの時代への変遷には、
大戦という大きな理由がありました。 働き盛りの男性が戦場に行き、その穴を埋めるために、働き手として女性が社会に進出するようになりました。 それまでの細く絞られたウエストから、ルーズで、より活動的なファッションに変わざらるを得なかったのです。 ここまでは、私も知っていましたが、講演会で聞いた話で 新たな認識を得ました。 ビクトリア時代の女性の生き方には、5つの選択肢しかなかったということです。 仕事がなかったわけですから、自立できないのです。 1、結婚して伴侶の庇護の元、妻として生きる
2、父親の庇護の元、娘として生涯を送る 3、愛人 4,売春婦 5,修道女 どうですか? なんだかどれも選びたくないような気もしますが、まぁ1でしょうね。 ヴィクトリア時代の優雅で、きらびやかなファッションは、 あくまでも伴侶や父親である男性の地位や財力を誇示するための道具であって、 要するに女性はお飾りだったのです。 お洒落は自分のためで、自分の価値でファッションを決め、仕事を選べる。 そして複数の役割を同時に選択することもできる。 そんな女性たちが、初めて手に入れた自由で生き生きとした息吹。 その躍動を感じるのがアールデコの時代なんですね。 日本でもほぼ同時期の大正時代、女性が仕事を持てるようになりました。 |
アール・デコという言葉自体は、1960年代の半ば過ぎに造語されたそうです。 不思議ですけど、「アール・デコ」の時代には、誰もアールデコと認識していなかったってことです。 アール・デコとは、1920年代から1930年代にかけて広がった美術様式を指しますが、1925年にパリで開催された「現代産業装飾芸術国際博覧会」でその様式が世界中に広まりました。 その名は、装飾美術(アール・デコラティブ)に由来しています。 この写真はパリ博のポスターです。 その前のアール・ヌーボーが、一部の特権階級の人たちの物だったのに比べ アール・デコは大衆の中で、大きな広がりをみせました。 19世紀最後の豪華で華やかな装飾と、その装飾を否定する動きとが入り混じり 結果的に商業と芸術との融合という、絶妙なバランスを作り出しました。 ですから、大量生産といっても、現代のような、そっけない形式ではなく そこには手作りの良さも残されています。 私個人の意識では、クドくなりすぎず、スタイリッシュでモダン 大人の装飾様式という感覚を持っています。 アール・ヌーボーが曲線的な流れるような様式に対して アール・デコは直線的で幾何学的な様式と言われています。 そのシンプルな形を生かすために 黒檀や象牙などの東洋的な素材と、ベークライトや金属なども多用されました。 ラジオやカメラといった当時の最新の機器にも その様式を色濃く見ることができます。 パリ発のアール・デコですが、ハリウッドの映画や雑誌は、その視覚に訴える力で さまざまなアールデコを広げる、大きな媒体となりました。 ハリウッド映画を見ては、アメリカの生活に憧れる時代が 日本でも長く続きましたね。ファッション、インテリア・音楽。 その影響力は計り知れません。 映画の草創期、まだモノクロだった作品にフラッパーな女性が登場します。 ココ・シャネルがコスチューム・ジュエリーを、世に送り出し始めたのもこの頃です。 エドワーディアンのジュエリーが貴族のためだったのに対して アールデコ期のジュエリーは、そのエッセンスも残しながら より自由でカラフルになっています。 そして何よりも、大衆に手の届くものとなりました。 |
こちらは1926年に発売された洋服のパターン表紙です。 これを元に手作りで洋服を作っていたわけです。 ですから、ファッション雑誌よりも、映画の中の女性よりも、 庶民に近く、現実に近いファッションといえるでしょう。 どの服も、いま着て歩いても全く違和感がありません。 小さい帽子、タイトなヘアースタイル、膝下丈のスカート。 |
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